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ぼしじょじょう

母子叙情

岡本 かの子

「文学界」1937(昭和12)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 77,355 字 · 153 页

青空文庫

どんな繊細な感情でもだぞ」

「恋愛はその限りに非ずか」

芸術写真師は傍から揶揄った。

「そんなことはない」とアルトゥールは写真師を噛むように云ったが、すぐ興醒め声になっていった。

「だが恋愛に関する限り、たとえば、嫉妬だとか憎みだとかいうものは、生活に暇があって感情を反芻する贅沢者たちの取付いている感情だ。おれたち忙しい人間は感情は一渦紋で、収支決算をつけて、決して掛勘定にしとかない。感情さえ現金払いだ。現実から現実へ飛び移って行くんだ。嫉妬だとか、憎みだとかいうものは、感情に前後の関係を考える歴史趣味だ」

アルトゥールの云うこととは別の中味は、もう二重になっていて、云ってる意味と違ったものを隠しているようだった。心に臆したものがあって、そういう他人と深い交渉をつける膠質の感情は、はじめからこの男には芽も無いらしい。

大広間一面のざわめきが精力を出し切って、乾き掠れた響を帯び、老芸人の地声のように一定の調子を保って、もう高くも低くもならなくなった。天井に近く長い二流三流の煙の横雲が、草臥れた乳色になって、動く力を失っている。

靠れ框の角の花壺のねむり草が、しょうことなしに、葉の瞼を尖の方から合せかけて来た。