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あさまさんろくより
浅間山麓より
寺田 寅彦
「週刊朝日」1933(昭和8)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,574 字 · 8 页
そんな臆説も考えられる。
池に家鴨がただ一羽いる。それが何だか淋しそうである。家鴨は群れている方が家鴨らしく、白鳥は一、二羽の方が白鳥らしい。
夕方になって池の面が薄い霧のヴェールに蔽われるころになると何かしらほのかな花の匂いが一面に立ちこめる。恰度月見草が一時に開くころである。咲いた月見草の花を取って嗅いでみてもそんな匂いはしない。あるいはこの花の咲く瞬間に放散する匂いではあるまいか。そんなことを話しながら宿のヴェランダで子供らと、こんな処でなければめったにする機会のないような話をするのである。
時候は夏でも海抜九百メートル以上にはもう秋が支配している。秋は山から下りて来るという代りに、秋は空中から降りて来るともいわれるであろう。
(追記) 本文中に峰の茶屋への途中、地表から約一メートルに黒土の薄層があって、その中に枯れた木の根があるので、古い昔の植物の埋没したものではないかという想像を書いておいた。その後同じ場所に行ってよく調べてみると、これらの樹の根には生きているのもある。これで見ると、現在生えている樹木の根が、養分の多いこの黒土層を追うて拡がっているのだということが分かる。