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せいしんあん
清心庵
泉 鏡花
「新著月刊」1897(明治30)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,494 字 · 26 页
顔の色も沈みけむ、日もハヤたそがれたり。濃かりし蒼空も淡くなりぬ。山の端に白き雲起りて、練衣のごとき艶かなる月の影さし初めしが、刷いたるよう広がりて、墨の色せる巓と連りたり。山はいまだ暮ならず。夕日の余波あるあたり、薄紫の雲も見ゆ。そよとばかり風立つままに、むら薄の穂打靡きて、肩のあたりに秋ぞ染むなる。さきには汗出でて咽喉渇くに、爺にもとめて山の井の水飲みたりし、その冷かさおもい出でつ。さる時の我といまの我と、月を隔つる思いあり。青き袷に黒き帯して瘠せたるわが姿つくづくとしながら寂しき山に腰掛けたる、何人もかかる状は、やがて皆孤児になるべき兆なり。
小笹ざわざわと音したれば、ふと頭を擡げて見ぬ。
やや光の増し来れる半輪の月を背に、黒き姿して薪をば小脇にかかえ、崖よりぬッくと出でて、薄原に顕れしは、まためぐりあいたるよ、かの山番の爺なりき。
「まだ帰らっしゃらねえの。おお、薄ら寒くなりおった。」
と呟くがごとくにいいて、かかる時、かかる出会の度々なれば、わざとには近寄らで離れたるままに横ぎりて爺は去りたり。
「千ちゃん。」
「え。」
予は驚きて顧りぬ。