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しぶやけのしそ

渋谷家の始祖

宮本 百合子

「中央公論」1920(大正9)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 68,023 字 · 133 页

青空文庫

生活そのものを、火花を散らす激烈なものとして考えていない正隆は、総てを、程々な生温(なまぬ)るさで味っているのである。善と、人が呼ぶものに対して、燃える感激を持たない彼は同時に、悪と呼ぶ者に対して、寛大な、或は無関心な主人であった。

多くの人々が、そうして、一日一日を送っているように、善と悪との、互い違いの出現を一重隔てた彼方に眺めて、薄すりとした暖みを、あらゆる相互関係に感じているのである。よいことも、また、悪いことも、それ等は、総ての幸、不幸、運、不運を包合して、錯綜しつつ起るものではあっても、絶対の自分の安定には、要するに、微力な影翳(かげ)となるに過ぎないと思い込んでいた正隆は、愈々、その信念を、試みられようとする時になって、殆ど、根本的な打撃を与えられた訳なのである。

性格の持つべき力の欠乏から、正隆は、生命を賭しても敢行した、真実さの爆発に対しては、弱い、皮肉な冷笑を以て齎しながら、所謂人情の、交感的な微温(ぬくもり)を否定することは出来なかった。

その人肌の微温を四囲に感じていればこそ、始めて、正隆には息がつけた。彼の冷笑は、決して、故意に自分を陥入れようとする奸策に向ってまで、平然と放たれるほど、力強いものではなかったのである。