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おぼるるもの

溺るるもの

豊島 与志雄

「中央公論」1928(昭和3)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,690 字 · 36 页

青空文庫

そして次にあの人に逢った時、あたしは涙をおさえてあの人の肩に縋りついた。

「今日はあたし、あんたの側を一寸も離れない、離れたくない。」

「本当か。」とあの人は云った。

その調子が余り強かったので、あたしは返事に迷った。するとあの人は笑いだした。

「喜代ちゃん、これからどこかへ酒を飲みに行こう。君を酔っ払わしてみたいんだ。」

あたしは何だか腑に落ちなくてあの人の顔を眺めた。あの人はほんとに晴々とした眼をしていた。

三 或る不良少年の話

三月の末近い頃のことだ。俺は向島の牛天神の方から、言問橋をぬけて浅草の六区へ急いだ。もう夜の九時頃だった。そして活動がはねるまでに向うへ着かなくちゃならなかった。用があった。

言問橋が出来たてのことで、橋の手前のガードになってる下をぬけて、大川沿いに作られてる広い道は、高い柱に取りつけた電燈がぽつりぽつりと光ってるだけで、殆んど通る人もなかった。だが、向う岸の待乳山一帯の灯が川に映って、華かだった。電柱の影にかくれてカフェーの中を覗きこむようなものだ。

俺は急いでいた。すると、向うから薄暗がりの中に、一組の人影が浮出してきた。