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ひにおわれて
火に追われて
岡本 綺堂
「婦人公論」1923(大正12)年10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,022 字 · 10 页
――こう思いながら私は無意識にそこにある長床几に腰をかけた。床几のまわりには酒屋の店の者や近所の人たちが大勢寄りあつまって、いずれも一心に火をながめていた。
「三井さんが焼け落ちれば、もういけない。」
あの高い建物が焼け落ちれば、火の粉はここまでかぶってくるに相違ない。わたしは床几をたちあがると、その眼のまえには広い青い草原が横わっているのを見た。それは明治十年前後の元園町の姿であった。そこには疎らに人家が立っていた。わたしが今立っている酒屋のところにはお鉄牡丹餅の店があった。そこらには茶畑もあった。草原にはところどころに小さい水が流れていた。五つ六つの男の児が肩もかくれるような夏草をかけ分けてしきりにばったを探していた。そういう少年時代の思い出がそれからそれへと活動写真のようにわたしの眼の前にあらわれた。
「旦那。もうあぶのうございますぜ。」
誰がいったのか知らないが、その声に気がついて、わたしはすぐに自分の家へ駆けて帰ると、横町の人たちももう危険の迫って来たのを覚ったらしく、路上の茶話会はいつか解散して、どこの家でも俄に荷ごしらえを始め出した。わたしの家の暗いなかにも一本の蝋燭の火が微にゆれて、妻と女中と手つだいの人があわただしく荷作りをしていた。