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ちち
父
矢田 津世子
「日暦」1935(昭和10)年11月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,168 字 · 38 页
母の立ち姿はうす暗い廊下の明りではっきりとはみえなかったが、前屈みになってこちらを窺っているような気振りが感じられた。
その夜、遅くなって紀久子は離れの寝間へ入っていった。めっきり弱くなった母の躯が気になって紀久子はずっと母の横にやすみ、夜中に何度か眼をさましては母の様子をみるようにしていた。
寝倦きたらしい母は蒲団の上へ坐って足をさすっていた。
「こう寒むくてはお小用が近くなってね」
母は独り言のように云った。
蒲団の裾へまわって湯たんぽの加減をみていた紀久子は「え?」と聞きかえした。
「いいえね、母様もこの分だと永いことはあるまいよ」
母は気力のない声でこう云うと大儀そうに紀久子の手をかりて横になった。
よく母は何かでひがんだような時にこんなに云うのだった。それがいかにも母そのものをおしつけられているように聞えて、紀久子は妙に意地の悪い心もちになって聞き流しにするのが癖になっていた。今も紀久子が黙っていると母はどういうつもりか皺めた顔を何度も手で撫でおろすようなことをしながら、
「母様がいなくなったら家の人たちは大っぴらに騒げますからね。ほんとうに、永い間気づまりな思いをさせてすまなかったこと」