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ちち

父

矢田 津世子

「日暦」1935(昭和10)年11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,168 字 · 38 页

青空文庫

いつか、湯上りの飯尾さんがクリームをつけたにしては少し白すぎる顔で遅い夕飯の父へ給仕をしているところをみかけた兄が、お吸物をはこんできた紀久子を裏廊下のところでつかまえて面白そうにこう笑ったことがあった。それまでは別に気にもとめず過してきた紀久子は兄に云われた瞬間、飯尾さんに対して無性に胸わるさを感じた。「まさか」と兄へは打消しておいたが、どうも後味がよくない。それからは妙に飯尾さんへこだわるようになってしまった。そして、今も、母の癖の出た飯尾さんの眼つきをみて紀久子は厭な気がした。話すのが億劫になってくる。それに話し出せばまたおきえさんの非難をきかされるのがおちである。母が亡くなってからは余計に、おきえさんの話が出ると飯尾さんはむきになるのだった。

そんな時の飯尾さんの表情はヒステリックにひきしまってきて、妙にひっからんだ声音でくどくどときかせるところはこのひとの執念の程を思わせた。それは、亡くなった母への義理だてから父の情人をこきおろす、というような単純な心から出たものではなく、何かそこに個人的な根深いものがひそんでいるように感じられた。ふと、薄化粧した飯尾さんがしなをつくって食事の父へ給仕をしている姿を頭に描いて、紀久子は自分事のように身内を熱くした。