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きょうげんのかみ

狂言の神

太宰 治

「東陽」1936(昭和11)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,478 字 · 31 页

青空文庫

雨が頬を濡らして呉れておお清浄になったと思えて、うれしかった。成熟した女学生がふたり、傘がなくて停車場から出られず困惑の様子で、それでもくつくつ笑いながら、一坪ほどの待合室の片隅できっちり品よく抱き合っていた。もし傘が一本、そのときの私にあったならば、私は死なずにすんだのかも知れない。溺れる者のわら一すじ。深く、けわしく、よろめいた。誓う。あなたのためには身を粉にして努める。生きてゆくから、叱らないで下さい。けれどもそれだけのことであった。語らざれば、うれい無きに似たりとか。その二人の女のうち笹眉をひそめて笑う小柄のひとに、千万の思いをこめて見つめる私の瞳の色が、了解できずに終ったようだ。ひらっと、できるだけ軽快に身をひるがえして雨の中へおどり出た。つばめのようにはいかなかった。あやうく滑ってころぶところであった。ふりかえりたいな。よせ! すぐ真向いの飲食店へさっさとはいった。薄暗い食堂の壁には、すてきに大きい床屋鏡がはめこまれていて、私の顔は黒眼がち、人なつかしげに、にこにこしていた。意外にも福福しい顔であったのだ。一刻も早く酔いしれたく思って、牛鍋を食い散らしながら、ビイルとお酒とをかわるがわるに呑みまぜた。