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ねこすてざか
猫捨坂
豊島 与志雄
「新文学」1948(昭和23)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,043 字 · 21 页
俺は平気でその急坂を上っていった。そして薬剤を貰い、帰りにも平気で坂を下りかけた。ふと、あの洞窟めいた地下室の古板囲いに、眼をやった。その中を、以前、俺も覗き見たことがある。嫌な気がして、眼を外らすと、あの時の異臭に似たものが鼻の先に漂ってくる。強い鼻息をして、坂を半ば下りきった時、なんとなくほっとした気持ちの隙間に、聞えたようだった。
「早く行け、早く行け。」
俺は坂を駆け下りた。別に恐怖は感じなかったが、醜怪なものがじかに肌に触れた感じだ。
母は苦しそうなうめき声をたてていた。その腰のあたりを姉が撫でてやっている。
「早かったわね。お母さん、頓服がきましたよ。すぐあがりますか。」
母は頷いて、意味のよく分らない声を出した。姉は薬をオブラートに包み、吸呑の水で服用さした。どこかで虫の声がしてる静かな夜だ。五分間ばかりたった頃、母はつぶっていた眼を開いた。
「こんどの薬、よく効くねえ。もうなおったよ。」
そんなに早く効く筈はないと思われたが、姉も私も黙っていた。果してまた疼痛が来た。母は呻り始めた。その声が、やがて、次第に細くなり、消えてしまった。睡ったのであろうか。