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くじょしょうろく

痀女抄録

矢田 津世子

「改造」1939(昭和14)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 32,578 字 · 65 页

青空文庫

やはり、この老人には加福の師匠がいっとう似つかわしかった。

世間では、本卦返りのこの齢まで通してきた師匠の独りぐらしをあれこれと取り沙汰しているようであるが、師匠は或る信条からこの独りの身を戌り通しているともきいていた。わたくしにとっては亡父の郷友にあたるところから、池ノ端数寄屋町のそのすまいへは、亡父生前よく供をして訪ねたものであった。

座業の人に猫背がに股というのをよく見かけるけれども、師匠にはその気すらみえない、痩せて小柄な体躯をいつも端然と持して、長い仕事中にもそれを崩すということがない。立居のおだやかな寡黙な質で、にこやかな面だちは親しみ易いが、折おり妙に気詰りな思いがして座をはずしたくなる。何か念を凝らしていられる時には余計にこの思いがきて、その眼を見上げるさえ気後れなときがある。老齢とは言いじょう師匠の面にはその翳さえみえず、その眼に籠っているものが年どし青春を加えているように見える。けれども、短く刈りこんだ頭髪はもう大分霜に覆われていて、うしろから眺める背のあたりにふっと老いの佗しさを見かけるときがある。痩せて崩さぬその後ろ背に支えてきた気骨ともいうべきものが素直にみえているだけに、そのうしろ姿の老いは一そう胸に来る。