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とざんはぼうけんなり

登山は冒険なり

河東 碧梧桐

「山 第一卷第三號」梓書房、1934(昭和9)年3月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,375 字 · 9 页

青空文庫

言わば原始的、野獣的な行動であったのだ。吉野の大峯に残る修行場というような、奇岩怪石を背景にしての練膽法は、即ち役小角時代からの伝統の遺物とも見るべきだ。

現に四国の石鎚山では、七月一日の山開きの当日から、七日間断食して毎日頂上をかける――かける、とは山腹の社から頂上までを往復するをいう――というふうな特異な登山行者がある。其の行者のいう所によると、三日目頃が最も苦痛で、今にも倒れそうであるが、七日満願頃には、却って神身爽快、雲に乗るかの思いをするとの事だ。又山中高原に結廬し、笹の芽を食って、幾日か難苦の修業をする者もある。彼等の経験によると、本統に餓渇を訴えなければ、笹の芽など到底咽へは通らないと言う。

霞を吸い、雲に乗るという仙人観も、仮空な想像でなく、人間も苦難な経験を積めば、そこに到達し得る可能な実在であったのだ。

今日のように、登山文化が遺漏なく発達しては、最早や冒険味など殆ど解消し、納涼的享楽味化した観がある。オイ、一寸烏帽子岳まで、と浴衣がけで出かけるような気持など、それがいいわるいは別として、文化人の一種の矜りであるかも知れない。