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はくち
白痴
「新潮 第四十三巻第六号」1946(昭和21)年6月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,985 字 · 45 页
伊沢ははじめて了解した。
女は彼を怖れているのではなかったのだ。まるで事態はあべこべだ。女は叱られて逃げ場に窮してそれだけの理由によって来たのではない。伊沢の愛情を目算に入れていたのであった。だがいったい女が伊沢の愛情を信じることが起り得るような何事があったであろうか。豚小屋のあたりや路地や路上でヤアと云って四五へん挨拶したぐらい、思えばすべてが唐突で全く茶番に外ならず、伊沢の前に白痴の意志や感受性や、ともかく人間以外のものが強要されているだけだった。電燈を消して一二分たち男の手が女のからだに触れないために嫌われた自覚をいだいて、その羞しさに蒲団をぬけだすということが、白痴の場合はそれが真実悲痛なことであるのか、伊沢がそれを信じていいのか、これもハッキリは分らない。遂には押入へ閉じこもる。それが白痴の恥辱と自卑の表現と解していいのか、それを判断する為の言葉すらもないのだから、事態はともかく彼が白痴と同格に成り下る以外に法がない。なまじいに人間らしい分別が、なぜ必要であろうか。白痴の心の素直さを彼自身も亦もつことが人間の恥辱であろうか。俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。