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しらぎく

白菊

伊藤 左千夫

「國民新聞」國民新聞社、1908(明治41)年11月3日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 476 字 · 1 页

青空文庫

茅野停車場の十時五十分発上りに間に合うようにと、巌の温泉を出たのは朝の七時であった。海抜約四千尺以上の山中はほとんど初冬の光景である。岩角に隠れた河岸の紅葉も残り少なく、千樫と予とふたりは霜深き岨路を急いだ。顧みると温泉の外湯の煙は濛々と軒を包んでたち騰ってる。暗黒な大巌石がいくつとなく聳立せるような、八ヶ岳の一隅から太陽が一間半ばかり登ってる。予らふたりは霜柱の山路を、話しながらも急いで下るのである。木蘇の御嶽山が、その角々しき峰に白雪を戴いて、青ぎった空に美しい。近くは釜無山それに連なる甲斐の駒ヶ岳等いかにも深黒な威厳ある山容である。

予らふたりはようやく一団の草原を過ぎて、麓を見渡した時、初めて意外な光景を展望した。

諏訪一郡の低地は白雲密塞して、あたかも白波澎沛たる大湖水であった。急ぎに急ぐ予らもしばらくは諦視せざるを得ない。路傍の石によろよろと咲く小白花はすなわち霜に痛める山菊である。京で見る白菊は貴人の感じなれど、山路の白菊は素朴にしてかえって気韻が高い。白雲の大湖水を瞰下してこの山菊を折る。ふたりは山を出るのが厭になった。