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ひゃくしょうやのすけのはなし

百姓弥之助の話

中里 介山

01 第一冊 植民地の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 51,621 字 · 99 页

青空文庫

連が弥之助の前後に群がり集って、

「あれ、靴!」

「あれ、靴!」

と云って、驚異しながら、ぞろぞろついて来たものだ。今は、その辺は、もう文化住宅が軒を並べて、中央線利用のインテリ君やサラ氏が東京の中心へ毎日通勤するようになった。

弥之助の植民地のある本村は、前に云う通り東京の中心地から僅かに十二三里の地点だが、弥之助の小学校時代には、自転車というものが一年のうち数える程しか通らず、たまたまそれが校門の外を通過することでもあろうものなら、

「それ、自転車!」

と云って、学童が遊戯を抛って校門の杭に首を突き並べて騒いだものだ、今日では、いかなる貧農でも自転車の一輛や二輛備えていない家は無い。

交通機関について云って見ると、今の中央線が甲武鉄道と云って、飯田町から八王子までしか開通していなかった。

そこで、この地方の人は汽車の便を借りて他方へ行くには、甲武線の一駅立川まで徒歩か或いは人力車によらなければならなかった。

甲武線――飯田町八王子間の開通が明治二十二年八月ということであって、その沿線立川駅から分岐して青梅鉄道という軽便が出来たのは明治二十七年の十一月ということである、丁度日清戦争の最中であって、百姓弥之助はその時漸く十歳であった。