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ちちぶきこう

知々夫紀行

幸田 露伴

「太陽」博文館、1899(明治32)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,784 字 · 31 页

青空文庫

(或曰、くまは韓語、或曰、くまは暈にて月の輪のくま也。)ただ狼という文字は悪きかたにのみ用いらるるならいにて、豺狼、虎狼、狼声、狼毒、狼狠、狼顧、中山狼、狼※(「冫+(餮-殄)」、第4水準2-92-45)、狼貪、狼竄、狼藉、狼戻、狼狽、狼疾、狼煙など、めでたきは一つもなき唐山のためし、いとおかし。いわゆる御狗を出すところは此山のみならず、来し路の宝登神社、贄川の猪狩明神、薄村の両神神社なども皆人の乞うに任せて与うという。秩父は山重なり谷深ければ、むかしは必ず狼の多かりしなるべく、今もなお折ふしは見ゆというのみか、此山にては月々十九日に飯生酒など本社より八町ほど隔たりたるところに供置きて与うといえば、出で来ぬには限らぬなるべし、おそろしき事かななど寒月子と窃かに語り合いつつ、好きほどに酒杯を返し納めて眠りに就くに、今宵は蚊もなければ蚊屋も吊らで、しかも涼しきに過ぐれば夜被引被ぎて臥す。室は紙障子引きたてしのみにて雨戸ひくということもせず戸の後鎖することもせざる、さすがに御神の御稜威ありがたしと心に浸みて嬉しくおぼえ、胸の海浪おだやかに夢の湊に入る。