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ちちぶきこう

知々夫紀行

幸田 露伴

「太陽」博文館、1899(明治32)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,784 字 · 31 页

青空文庫

寄居を出離れて行くこと少時にして、水の流るるとおぼしき音の耳に入れば、さては道と川と相近づきたるかと疑いつつ行くに、果して左の方に水の光り見えたり。問わずして荒川とは知るものから、昨日と今日とは見どころ異れば同じ流れながら如何なるさまをかなせると、路より少し左に下る小径のあるにまかせて伝い行くに、たちまちにしてささやかなる家を得たり。家は数十丈の絶壁にいと危くも桟づくりに装置いて、旅客が欄にり深きに臨みて賞覧を縦にせんを待つものの如し。こはおもしろしと走り寄りて見下せば、川は開きたる扇の二ツの親骨のように右より来りて折れて左に去り、我が立つところの真下の川原は、扇の蟹眼釘にも喩えつべし。ところの名を問えば象が鼻という。まことにその名空しからで、流れの下にあたりて長々と川中へ突き出でたる巌のさま、彼の普賢菩薩の乗りもののおもかげに似たるが、その上には美わしき赤松ばらばらと簇立ち生いて、中に聖天尊の宮居神さびて見えさせ給える、絵を見るごとくおもしろし。川は巌の此方に碧の淵をなし、しばらく澱みて遂に逝く。川を隔てて遥彼方には石尊山白雲を帯びて聳え、眼の前には釜伏山の一トつづき屏風なして立つらなれり。