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かぐらざか

神楽坂

矢田 津世子

「人民文庫」1936(昭和11)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,611 字 · 40 页

青空文庫

どんな気苦労をしてもいいから、自分もまた琴子のように似合いの男と愉しい世帯をもってみたいものだとつくづく思った。

もの心のつく頃から母の手を離れて花川戸の親類の家で育ったお初は近所の人の世話で新橋の相模屋という肉屋の女中になったのが十六の年であった。お初がまだ赤坊の頃、お父つぁんは流行病いで亡くなった、と母にはきかされていたが、親類のものたちの話し合うているのをきけば、朝鮮あたりへ出稼ぎに行っている様子であった。どちらにしても、お初には大して父親への執着がなく、まあ、生きていてくれたらいつかは会えるだろう、と思う位である。お初の働いていた相模屋は前々から借財がかさんでいて、その債権者の一人が馬淵猪之助であった。当時五十二歳の猪之さんは貸し金の取り立てで相模屋へ足をはこぶうちお初をみかけて、そのぼってりとした、どことなく愛嬌のある顔つきが可愛くなってきた。そこで何かのはずみに主人へこのことを話してみると大そう乗気になって、「ひとつ、面倒をみてやって下さらんか」という。主人の肚では、このお初の取りひきの成功が馬淵との貸借関係の上に何分の御利益をもたらすもの、と北叟笑んでいる。