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かぐらざか
神楽坂
矢田 津世子
「人民文庫」1936(昭和11)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,611 字 · 40 页
そのうちおっ母さんが何やかやと用事にかこつけては馬淵の家を訪ねてくる。爺さんは内々これを快としていない。どうもおっ母さんのやってくるのは魂胆があってのことで、それがこんどは見えすいているようである。爺さんがひと晩泊りの出張で留守をしている時など、主人顔で上りこんで、金庫をいじくったり、箪笥の中をのぞきこんだりして、「へえ、お形見がこないと思ったら空っぽなんだものねえ」と下唇を突き出して厭味な笑いようをしたという。爺さんは種からそれを聞いて肚を立てた。とりあえず、客間の金庫の前へ種をつれていっておっ母さんが触ったという錠前のところを眼鏡をかけて検べてみたが何んともなかった。尤も、種の告げ口というのが、いく分事実に衣を着せる傾きがあって、こんどもおっ母さんはもの珍らしさから、ただ手のひらで金庫のすべっこい肌を撫でてみただけなのである。
お初は、おっ母さんに口喧ましく云われるのがうるささに、今ではどうせのことに一日も早く馬淵の内儀さんになってしまいたい気もちに駆られている。これを爺さんに切り出すきっかけを待っているのだが、仲々その折りがない。相変らず爺さんは夕飯をすませてから出かけてきて十一時が打つと帰っていってしまう。