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こうせんぜんじのことども
禅堂生活
鈴木 大拙
鈴木大拙『禅堂生活』。同一底本的分册已合并为一书。收入:洪川禅師のことども、釈宗演師を語る、僧堂教育論、楞迦窟老大師の一年忌に当りて、鹿山庵居。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,634 字 · 57 页
洪川老師の抜萃中に左の句がある。
陳白沙曰、前輩謂う、学は疑を知ることを貴ぶ。小疑には則ち小進あり、大疑には則ち大進ありと。疑は覚悟の機なり。一番覚悟すれば一番の長進あり。某初学の時、亦是れかくの如し。更に別法なし。
疑が覚悟の機であると云うは、疑によりて新たな知識を得るとの義であろう。疑がなくては、猫のいつまでも猫であるように、その境涯において進一歩の機会は与えられぬ。「これは?」と云って疑が出るところに、新しきものが見つかる。学問の上でも、内省の上でも、然らざるはないのである。疑は思索を促す。思索がなければ、独立の判断が出来ぬ。いつも群衆心理で動くより外ない。或る場合ではそれも亦可なりであるが、又或る場合では、大いに然らずである。霊性的直覚の場合の如きは、この大いに然らざる場合である。ただ伝統的に教えられたものを受取るでは、本当の学でない。有字の書ばかり読んで居ては、所謂る故紙堆裡に浸溺するもので、徒らに精神を昏迷するに過ぎない。
老師の抜萃に曰わく、
一斎云、学は自得を貴ぶ。人徒らに目を以て有字の書を読む、故に字に局られて、通透することを得ず。