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かがくのじょうしきのため
科学の常識のため
宮本 百合子
「新女苑」1940(昭和15)年8月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,479 字 · 19 页
第六話。山、氷河、および地殻の歴史を語られるにつれて、私たちの心によみがえるのはチンダルの「アルプスの旅より」「アルプスの氷河」などである。どちらも岩波文庫に訳されているのは知られるとおりである。アイルランド生れの物理学者であったジョン・チンダルは地質学者ではなかったが、数十年をへた今日でも、このアルプスを愛し氷河に興味をもった物理学者の観察の記述は精細さで比類すくないものとされている。面白さ、科学性と人間性の清潔な美しさにおいてもまた比類は少いだろうと思う。若い女のひとたちは山へも登って、自然の容相にどんな心の糧を見出しているのだろうか。
山に関する本もどっさりあろうと思う。しかし、よく見かけるのはいずれも山に対してあまり抒情的であり、しかもその抒情性がいかにも東洋風で、下界の人間の臭気から浄き山気へのがれるというような感情のすえどころから語られているのが、いつも何か物足らない心持をおこさせる。今日のひとが山を好むのは、さわがしい下界からの逃避の心持からばかりではないだろうと思う。自分の体力、智力、自分とひととの経験の総和についての知識とその実力とが、むき出しな自然の動きと直面し対決してゆく、その味わいでの山恋いではないだろうか。