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たけのさとびと

竹乃里人

伊藤 左千夫

竹乃里人「馬醉木 第六號」根岸短歌会、1903(明治36)年11月13日<br>竹乃里人「馬醉木 第八號」根岸短歌会、1904(明治37)年2月2日<br>竹の里人「馬醉木 第十一號」根岸短歌会、1904(明治37)年5月5日<br>竹乃里人「馬醉木 第十二號」根岸短歌会、1904(明治37)年7月15日<br>竹の里人「馬醉木 第十三號」根岸短歌会、1904(明治37)年8月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,338 字 · 29 页

青空文庫

ことを信ぜざるを得ぬのである、

日本帝国の偉文士正岡氏は、その現世を去りし二個月以前において、

小説というものはとても吾々の感じを満足させるように出来ぬものときめてしまった、

この一語は正しく正岡先生の口より出でて左千夫の耳に入りしもの、すなわち明治三十七年一月発刊の『馬酔木』巻頭に掲げ広く世界の識者に問うのである。〔『馬酔木』明治三十七年二月二日〕

大詩人の言行としては、さもあるべきはずではあるが、何事につけても、人並よりは多くの興味を感じつつ居たらしかった、多くの人の何でもなく思っていることやごくツマラぬことで一向顧みもしないようなことでも、先生はしきりと面白がって一人興懐に耽けるというようなことが常に珍らしくなかった、従てたわいもないことにも児供らしく興に乗って浮かれるようなことがあった、それは趣味の広い人であるから、面白味を感ずる区域が、人よりも広いは当前ではあれど、随分意外に思うことも多かった。

鍬形斎や上田公長の略画の版本など吾々は児供の玩弄品と思っていたくらいであるに、ここの趣向が面白い、ここがうまいなどとしきりと面白がっていた、ある時などは、一枚五厘ずつのオモチャ絵紙の、唐紅かなにかでひた赤く染た