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そろばんがこいをかたるはなし
算盤が恋を語る話
江戸川 乱歩
「写真報知」報知新聞社、1925(大正14)年3月15日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,096 字 · 16 页
やがて夜が来ました。広場のところどころに立てられた電燈が寒く光り始めます。こうなると、さすがのTも不安を感じないではいられませんでした。
「ひょっとしたら、家の首尾が悪くて出られないのかも知れない」
今では、それが唯一の望みでした。
「それともまた、おれの思い違いではないかしら。あれは暗号でもなんでもなかったのかも知れない」
彼はいらいらしながら、その辺をあちらこちらと歩き廻るのでした。心の中がまるで空っぽになってしまって、ただ頭だけがカッカとほてるのです。S子の色々の姿態が、表情が、言葉が、それからそれへと目先に浮んで来ます。
「きっと、彼女も家でくよくよおれのことを心配しているのだ」
そう思う時には、彼の心臓は熱病の様に烈しく鳴るのです。しかし、またある時は身も世もあらぬ焦燥が襲って来ます。そして、この寒空に来ぬ人を待っていつまでも、こんな所にうろついている我身が、腹立たしい程愚に思われるのです。
二時間以上も空しく待ったでしょうか。もう辛抱し切れなくなった彼は、やがてとぼとぼと力ない足どりで山を下り始めました。
そして山の半ば程降りた時です、彼はハッとした様にそこへ立ちすくみました。