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そろばんがこいをかたるはなし
算盤が恋を語る話
江戸川 乱歩
「写真報知」報知新聞社、1925(大正14)年3月15日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,096 字 · 16 页
間もなく、一人の事務員がドアを開けて入って来ました。
「ヤア、馬鹿に早いですね」
彼は驚いた様にTにあいさつしました。
「お早う」
Tは内気者らしく、のどへつまった様な声で答えました。普通の事務員同志であったら、ここで何か景気のいい冗談の一つも取交すのでしょうが、Tの真面目な性質を知っている相手は気づまりの様にそのまま黙って自分の席に着くと、バタンバタン音をさせて帳簿などを取出すのでした。
やがて次から次へと、事務員達が入って来ました。そして、その中にはもち論Tの助手のS子もまじっていたのです。彼女は隣席のTの方へ丁寧にあいさつしておいて、自分のデスクに着きました。
Tは一生懸命に仕事をしている様な顔をして、そっと彼女の動作に注意していました。
「彼女は机の上の算盤に気がつくだろうか」
彼はヒヤヒヤしながら、横目でそれを見ていたのです。ところが、Tの失望したことには、彼女はそこに算盤が出ていることを少しも怪しまないで、さっさとそれを脇へのけると、背皮に金文字で、「原価計算簿」と記した大きな帳簿を取出して、机の上に拡げるのでした。それを見たTはがっかりして了いました。