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はこねのやま

箱根の山

田中 英光

「文藝春秋 別冊2」1946(昭和21)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,963 字 · 33 页

青空文庫

鶏犬の声も、子供の姿もなく、ただ白い街道一杯に、冬の薄れ陽が赤々と照っていた。むろん食物屋のあるはずがなく、私はこれはもう駄目だと思った。幸い一郎はまだ腹が減ったと言い出さないが、言い出したら事だと、実は、親父自身が腹の皮のくっつきそうなのを我慢して、一郎の手を振り振り、「箱根の山は天下の険」、「アコネノヤマハエンカノケン」親子二部合唱の大声で、部落を通り過ぎて行くと、向うから柴を一杯背負った婆様が元気な足取でやって来るのにぶつかった。私は、少なくとも夜路に灯を見つけた位の気持になり、「もしもし、この辺でどこか飯を食わせる家はないでしょうか」婆様は吃驚した顔で私たち親子の姿をじろじろ見ていたが、飛んでもないと言った顔で首を振り、「ここいらにゃあ、そんな家はねえよ」

「もう少し先にでも行ったらありますか」、「先に行ってもねえ。どこから来ただ」、「湯本からですよ。これからこの街道を登って元箱根に出たいのですが、途中になにか食べさせる家でもありませんか」、「さあね、先に行っても駄目だ。それにそんな小さな子供を連れて元箱根まで無理だよ」頗る冷たい口調だったから、ムッとして行き過ぎようとしたが、まるで前途の見透しがつかないので心細く、「じゃあ、これから元箱根までずッと食物屋などないのでしょうか」