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うつくしいむら
美しい村
堀 辰雄
序曲「大阪朝日新聞」(「山からの手紙」の表題で。)1933(昭和8)年6月25日、美しい村「改造」1933(昭和8)年10月号、夏「文藝春秋」1933(昭和8)年10月号、暗い道「週刊朝日 第25巻第13号」1934(昭和9)年3月18日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,946 字 · 84 页
て、忽ち村全帯の上に拡がるのであった。どうかすると、そういう霧がずんずん薄らいで行って、雲の割れ目から菫色の空がちらりと見えるようなこともあったが、それはほんの一瞬間きりで、霧はまた次第に濃くなって、それが何時の間にか小雨に変ってしまっていた。
私はその暗い雲の割れ目からちらりと見える、何とも言えずに綺麗な、その菫色がたまらなく好きであった。そうしてそれは、殆んど日課のようにしていた長い散歩が雨のために出来なくなっている私にとっては、たとえ一瞬間にもしろそれが見られたら、それだけでもその日の無聊が償われたようにさえ思われた程であった。――「おまえの可愛いい眼の菫、か……」そんなうろおぼえのハイネの詩の切れっぱしが私の口をふと衝いて出る。「ふん、あいつの眼が、こんな菫色じゃなくって仕合せというものだ。そうでなかった日にや、おれもハイネのようにこう呟やきながら嘆いてばかりいなきゃなるまい。――おまえの眼の菫はいつも綺麗に咲くけれど、ああ、おまえの心ばかりは枯れ果てた……」
そんな鬱陶しいような日々も、相変らず私の小説の主題は私からともすると逃げて行きそうになるが、私はそれをば辛抱づよく追いまわしている。