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にくたい

肉体

豊島 与志雄

「文芸」1935(昭和10)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,219 字 · 26 页

青空文庫

いつにないその見上げた態度に、私は少しぼんやりしました。小野君は呆気にとられたように、黙ってしまいましたが、トキエから銚子を差出されると、てれたように頭をかいて、それからまた飲み初めました。トキエは嬉しそうな様子でした。暫くたつと、三味線をかりて弾いたりしました。私は白けた気持になって、酒の酔だけが身内に残って、脇息を横倒しに枕にして寝そべっていましたが……どうした調子でか、トキエが眼に涙をためて、芸者に酌をさしてぐいぐい飲みだしたのが、眼につきました。子供のこと……ミヨ子のことと、彼女の腹の中にある者のこととが、頭にきて、私は飛び起きてその杯を奪いました。箸で小皿の縁を叩いて朦朧と歌っていた小野君が、不公平だとか専横だとか云い出したのを耳にも入れずに、私はじっと彼女を見ますと、彼女もそのうるんだ眼で私を見返しました。どうも、昔初めて逢った時のような……そんなことは覚えてはいませんが……親しみの薄い眼付です。そうです。私は妙に淋しいんでした。酒をぐいぐいあおって、三味線をじゃんじゃん弾かして、そして立上りました。何かかんかぐずってる小野君を置いて、さっさと帰っていきました。