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じさつをかうはなし

自殺を買う話

橋本 五郎

「探偵趣味」1927(昭和2)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,685 字 · 16 页

青空文庫

そして思わず足を止めた。とその瞬間、何処にどう潜ったのか、彼は青年の姿を見失ってしまったのであった。

あてどない俄盲目にも似た彼は、突然底知れぬ暗闇の中にとり残されたのだ。独りだ、と感じると、今更のような寒さと共に、かつて知らなかった生々しい恐怖が、しかも奇怪な落着きをもって、彼の皮膚の上を這い廻った。ぞろぞろと撫でさすって過ぎた。

静かに線路に下り立った彼は、身を踞めてレールに耳を当てた。遠い黄泉の国からかでもあるように、不思議な濁音が響いて来る。それは美しい韻律をもって、例えば夢のからくりのようにいとも快い刺激を鼓膜に与えた。彼は尻を立てた黒猫のような格好で、忘我の中に、そのまま凝乎と蹲っていた。

音響がひどく烈しく、段々近く聞えて来た。と、

「危い!」

誰かが彼の肩を掴んで引き戻した。とほとんど同時だった、彼の袂のすれすれを、ゴォーッと凄まじい唸りを残して真黒い列車が通り過ぎた。彼の眼には列車の窓の、華かな明りだけが残った。

「危なかったじゃあないか、いったいどうしたんだ?」

彼を救った人間は、こう云って闇の中で、彼の衣服の泥を払った。彼は別に有難いとも悲しいとも感じなかった。