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まいひめ

舞姫

森 鴎外

「國民之友第六拾九號」民友社、1890(明治23)年1月3日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,190 字 · 33 页

青空文庫

これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。

ああ、ブリンヂイシイの港を出でてより、はや二十日あまりを経ぬ。世の常ならば生面の客にさえ交わりを結びて、旅の憂さを慰めあうが航海の習いなるに、微恙にことよせて房のうちにのみ籠りて、同行の人々にも物言うことの少なきは、人知らぬ恨みに頭のみ悩ましたればなり。この恨みは初め一抹の雲のごとくわが心をかすめて、瑞西の山色をも見せず、伊太利の古蹟にも心を留めさせず、中ごろは世をいとい、身をはかなみて、腸日ごとに九廻すともいうべき惨痛をわれに負わせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳とのみなりたれど、文読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響きのごとく、限りなき懐旧の情を喚び起こして、幾度となくわが心を苦しむ。ああ、いかにしてかこの恨みを銷せん。もし外の恨みなりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すがすがしくもなりなん。これのみはあまりに深くわが心に彫りつけられたればさはあらじと思えど、今宵はあたりに人もなし、房奴の来て電気線の鍵をひねるにはなおほどもあるべければ、いで、その概略を文に綴りてみん。