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ばしょうについて

芭蕉について

宮本 百合子

「新女苑」1940(昭和15)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,634 字 · 14 页

青空文庫

私たちはそういう或る意味では煩瑣な芭蕉学から離れ、きょうのこの心のままで彼の芸術にふれてゆくのであるが、それなりに生々とした感銘をうけ、感覚に迫ったものをうけるのは、芭蕉の芸術にどういう力があればであろうか。芭蕉を、彼の生きた時代の世相との関係でみれば、世俗的には負けていて、世事万端の流転を自然とともに眺める哲学の内容も、仏教渡来後の日本の知識人として当時に於いてもありふれたものであった。哲学として或は人生観のつづまりとしては、西鶴も近松門左衛門も最もありあわせた仏教的なものに納まっている。しかし、芭蕉の芭蕉たるところは、哲学的にそういう支柱のある境地さえも自身の寂しさ一徹の直感でうちぬけて、飽くまでもその直感に立って眼目にふれる万象を詩的象徴と見たところにあるのだと思われる。「さび」が日本の心の窮極にあるというよりは、どこまでも感性にふれる形象をとおしてのみ芭蕉の象徴があったという点こそ、彼の芸術が中国にも印度にも無いものである所ではなかろうか。芭蕉には実に微妙複雑な象徴はあるが、抽象はない。少くとも彼の完成した後の芸術境にはない。それだからこそ私たちは、一読「こがねを打ちのべたような」