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あらおがわのほとり

荒雄川のほとり

佐左木 俊郎

「新文藝日記 昭和六年版」1930(昭和5)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 791 字 · 2 页

青空文庫

私の郷里は(宮城県玉造郡一栗村上野目天王寺)――奥羽山脈と北上山脈との余波に追い狭められた谷間の村落である。谷間の幅は僅かに二十町ばかり。悉く水田地帯で、陸羽国境の山巒地方から山襞を辿って流れ出して来た荒雄川が、南方の丘陵に沿うて耕地を潤し去っている。

南方の丘陵は、昔、田村麻呂将軍が玉造柵を築いたところ。荒雄川の急流を隔てて北方の蝦夷に備えたのであろう。後に、伊達正宗の最初の居城、臥牛の城閣がこの丘の上に組まれ、当時の城閣を偲ばせる本丸の地形や城郭の跡が今でも残っている。

「栗駒おろし吹きなびく

臥牛城下に生をうけ

残されたりし英雄の

……」

私達は子供の時分、そんな歌を歌った。

併し、私の生まれた部落は、北方の丘陵に近く、南方の山脚を洗う荒雄の水音を、微かに聞く地点なのである。

南方の丘陵が武将の旧跡なら、北方の丘陵は宗教の丘である。即ち聖徳太子の四天王寺の一つが今の地名をなしている。豪壮な伽藍は、幾度も兵火にあいながら、私達の子供の時分までは再建を続けられていたのだそうだが、坊主が養蚕で火を出してから、今では仮普請の小さなものになってしまった。