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じょうはつざら
蒸発皿
寺田 寅彦
「中央公論」1933(昭和8)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,912 字 · 18 页
脳髄の中にある原子の数はたぶん十の二十何乗という莫大な数であろう。その中の二つ三つがどうにかなったとしてもたいした事はなさそうにも思われるが、しかしまた脳髄によって営まれていると考えられる精神現象の複雑さは想像のできないほど多様なものである。たとえば、一万種の語彙があるとしてその中からたった七語の錯列を作るとすると約十の二十八乗だけの組み合わせができるが、われわれの脳髄はきわめて楽にその組み合わせのおのおのの区別を判別する能力をもっている。それどころか、昔でさえもたとえば論語を全部暗唱する人は珍しくなかった。それだけのきわめて卑近な簡単な一例から考えても、人間の脳の機能に関係する原子分子の一つ一つの役目が、それほど閑散な、あってもなくても済むようなものではないであろうということが想像される。そうだとすると、約二三百の宇宙線が、ある一時間に、ある人の脳髄の中にいかなる弾道を描いたかが、その脳の持ち主に何がしかの影響を及ぼすことになってもよさそうに思われて来る。たとえば「紅茶にしようか、コーヒーにしようか」というような場合に、「そのどっちか」にきめさせるという程度の影響がないとも限らない。