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たでくうむし
蓼喰う虫
谷崎 潤一郎
「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页
夫婦はそのために少しずつ交際の範囲を狭くし、努めて牆の内を覗かれないようにさえした。が、それでも矢張対社会的に夫婦らしさを装わなければならない場合が生じて来ると、いつもあんまり好い心持はしないのであった。
思うに美佐子がさっきから変に出渋っていたのも、一つはそれが厭なのであろう。気の弱い性質なのではあるが、何処か奥の方にカチリと堅い芯を持っている彼女は、古い習慣とか、義理とか、情実とか、そう云うものに対してはむしろ要よりも勇敢であった。彼女は夫と子供のために出来るだけ慎しんではいるものの、しかも今日のような時に進んで人の前へ出てまで芝居をするには及ばないと云う風な、かすかな不平を抱いているに違いなかった。なぜなら彼女にしてみれば己を欺き世を欺くのが不愉快であるばかりでなく、阿曽の感情をも考えなければならないからだった。阿曽も事情は認めているにしろ、彼女が夫と道頓堀へ出かけたと聞いたらとにかく愉快である筈はない。真に已むを得ない場合の外は、そう云うことは遠慮して欲しいに違いない。夫はそこまでの思いやりがないのか、察していてもそんなことにまで気がねをしてはいられないと云う腹なのか、そうとはっきり口へ出しては云えないだけに彼女はもどかしく感ずるのであった。