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たでくうむし
蓼喰う虫
谷崎 潤一郎
「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页
「誰だい、それは?」
と、要がきいた。
「中川さんの奥様、―――あなたの知らない方」
「お久、ちょっとこの火を見ておくれ。―――」
と、老人は下腹から懐炉の包みを取り出して、
「小屋が広いのに入りがないせいか、どうも冷えてかなわない」
と、つぶやくように云った。お久が懐炉灰の火を直すので、手が塞がっている隙に、要は気を利かして、
「いかがです、胃袋の方へもう少し懐炉をお入れになったら」
と、これも御持参の錫の銚子を取り上げて云った。
舞台の方ではもう次の幕が開きそうなけはいなのに、夫がのんきらしく、キッカケを作ってくれないので、美佐子はさっきからじりじりしてゐた。出がけに須磨から電話があったとき、彼女は実は「自分はちっとも気が進まないのだから、芝居の方は成るたけ早く切り上げる。そして出来たら七時頃までに会いに行くようにする」と云って置いたのである。尤も都合で分らないから、アテにしないでいてくれろとは云ったけれども、………
「明日一日、きっと此処が痛いだろうと思うわ」
彼女は膝頭を揉んで見せた。
「幕が開くまでそこに腰かけていたらいい」
そう云いながら夫が眼交ぜで、「まあ、今直ぐ帰るとも云いかねるから」