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ひょうげん

表現

宮本 百合子

「文学者」1940(昭和15)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 1,928 字 · 4 页

青空文庫

、涙の顔を愛する良人に向ってふり仰ぎながら夢中で踊りの身ぶりで、その苦しみを表現する自然の欲望に導かれなかったろう。

あんなに微妙に愛のよろこびを表現しておどった夫妻、それがこの一生一度の悲しみのとき、悲しみの堰がやぶれて踊らないというのは、何と奇妙で不自然だろう。映画では気の毒な月並の手法で、長椅子にかけたまま宙を見つめるカッスル夫人の前に、幻の良人が庭園の並木の間を次第に彼方へ遠のきつつ独り踊ってゆく姿を出しているのである。それならそれでいいから、その幻の踊りの姿に我ともなく体をひき立てられ、どうして悲しみの踊りをおどらないのだろう。よしや悲しみの踊りでなくそれがよろこびのおどりなら、その歓喜の踊りを、どうして今の女の、無限の悲しみで踊りぬかないのであろう。

カッスルののこした芸術は、踊るあらゆる若者に愛されるのだ、というような科白での芸術論は、この場合、極めて非芸術的である。監督も勿論大した馬脚をあらわしているのだけれども、アステアにしろ、どうして、そこのところにこそ表現されるものとしての芸術の真髄が潜められていることをつかまなかったのだろう。