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かんねんせいとじょじょうせい
観念性と抒情性
宮本 百合子
伊藤整氏『街と村』について
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,230 字 · 5 页
それはきっと、ひとくちに云えない感情だろうと思われる。ひとくちには云えないが、何か云いたいものがのこされる、そういう心持のする小説ではないだろうか。そして、ざっくばらんに云えば、そこがこの作者の云わば狙いどころとしての成功であり、作品のひとくせあるところでもあるのではなかろうか。作者の中には、こういうシステムをもつひともあるものである。別な例だが、横光利一という作家のシステムも、わかるようでわからなく、だがあけすけに分らないと云わせないような同時代人の或る神経にひっかかりをつけてゆく技術で、妙にはたから勿体をつけて見られた作家の一人であった。
伊藤整氏の場合、幽鬼の街と村とは、そばへよってよく見ると案外にわかりやすい幾つかの土台の上に組立てられている。一つは、「僕は中途半端に生活し、中途半端にしか考えて来ませんでした」「若し生活の一片毎に誠実であろうとしたならば、僕は命を百持っていても足りなかったでしょう」「意味は八方へ拡り、すべてのものにつながっていて考えればみな締めくくりがつかなくなる」「それらの責苦に私は耐えることが出来そうもない」ほどに感じられるそれを自己の感性の鋭さと意識されている観念である。