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にんしきろんとしてのぶんげいがく
認識論としての文芸学
戸坂 潤
「唯物論研究 五十一号」1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,350 字 · 19 页
実際、科学的理論(特に自然科学の夫)は認識の普遍妥当性に於て一等発達した認識の様式だったのである。認識という時、だから科学的理論的認識を尺度とするか足場とすることによって、話しは始まるわけだ。宗教についてもそうだが、芸術についてもこの点、少しも変りはない筈である(道徳についてもそう云えるので、道徳なるものの認識論的意義を、かつて私はほんのわずか触れたことがある)。
芸術をば科学的認識によって推し計ることは以ての他の間違いだ、と抗議するものがいるとしたら、吾々は反問しなければならぬ。では何を規準にして芸術と科学との連関を見つけ出す心算か、それとも二つのものは全く無関係な絶縁された文化形象ででもあるのか、と。芸術を他の文化類域との内部的連関を絶って孤立させて取り扱うことを、最初から誤りだと吾々は考える。この誤りを犯さぬためには、要するに科学的認識を規準として、認識としての芸術を分析する他はない。芸術理論上のリアリズム(必ずしもスタイルとしてのリアリズムではない)とは、他でもない、この経緯を指して呼ぶ名である。
さて芸術一般がそうだとして、その内で特に文芸は、認識として或る一つの特権を持っている。