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にんしきろんとはなにか

認識論とは何か

戸坂 潤

「認識論」戸坂潤、山岸辰蔵、三笠書房、1937(昭和12)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 58,432 字 · 116 页

青空文庫

だが私は、認識は科学的でなければならぬとか、体系的(つまり方法的)でなければならぬとか、そういう主観的な側面からばかり認識なるものを説明して済ませることは出来ない。なる程認識は意識の内の、又意識を通じての、出来ごとである。又認識の主観的内容(E・フッセルルが「対象」から区別した「内容」のような意味での内容)は、たしかに観念である(之をドイツの哲学では表象と呼んでいる)。いずれも広義の認識を論じる広義の認識論にとっては重大課題だ(私は之を後に逐章論じて行こう)。だがそういうものも要するにただの意識やただの観念・表象・ではなくて、或る夫々の一定意識・一定観念・であり、つまり特に認識という名に値いするという資格をとった意識や観念である限り(つまり又、認識である限りだ)、之は何かの客観的なものの認識なのである。認識とはそういう対客観的な本性を有たずには無意味である。

F・ブレンターノは意識というものが凡てそういう客観乃至対象を指向する本性のものであることを明らかにし、同時に表象の機能の分析に着手した。之は心理がなぜ論理的な作用を営み得るかという、認識論上の根本問題に解決の鍵を与えることになったが、今、ただの意識やただの表象ではなくて、体系的な科学的「認識」