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にんしきろんとはなにか
認識論とは何か
戸坂 潤
「認識論」戸坂潤、山岸辰蔵、三笠書房、1937(昭和12)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 58,432 字 · 116 页
例えば常識や道徳的習俗は大抵自明感を伴うのが常だが、之ほど疑わしい感情はないのである。最後の自明性を有った命題、例えば平行線は交らないというような種類の自明命題も、厳密に云うと実は自明ではない。或る論理体系の習慣から見て自明だというにすぎない。で自明感は必ずしも明白感の凡てではない。
自明感或いは一般の明白感の尤なるものは、所謂良心なのであった。それは前にも触れた。良心は往々最後の深奥の証人であるように考えられている。が、実際の関係から行けば、良心が(良識さえもだが)決して公正な証人でないことは、少し物を考えたことのある人は誰でも知っている。之は誠実や注意や心掛けなどと同じく、一種の口実とされることも出来る。而もそれが案外何等のやましさを伴わずにだ。良心を振りまわす者は却って良心の不足した人間と見た方が間違いがない。と云うことを云い直せば、明白感を振りまわして真理の証人と触れまわることは、実は少しも真理の保証にはならぬ、ということである。真理は常に明白である。だが自分が有つ明白感を根拠としては、真理であることを証明することは出来ない。
にも拘らず、認識するということは、少なくとも明白に意識することである。