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にんしきろんとはなにか

認識論とは何か

戸坂 潤

「認識論」戸坂潤、山岸辰蔵、三笠書房、1937(昭和12)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 58,432 字 · 116 页

青空文庫

それであるが故に又、実践は認識の一環ともなるのである。認識は生活の契機であり、それ故に又実験・産業・技術・政治的活動・等々の実践は認識の契機となるのである。かくて実践的なものと理論的なものとは、認識の相互に対立し而も相互に連関する処の、二つのディアレクティックな契機をなす。之によって模写は初めて客観的な実在そのものに食い入る積極的能動性を有てるわけだ。実践的模写に於ける実践は、現実そのものに身を置いて現実を処理する唯一の認識方法なのだ。真理はこうして錬磨されつつ獲得される。客観への侵略が真理であるというのは、F・ベーコン以来のマテリアリズムの真理なのである。――処でプラグマティズムはその折角の実践を、身辺と手の先とに制限しようとする。実在を信念を以て処理出来ない実行だ。実在の変革の哲学よりも、「試行と失敗」の哲学である所以である。

ヘーゲルの具体普遍説の最も重大な弱点は、それが往々にして、弁証法であるよりも有機体説に終りがちだという処に存する。全面的顕現・最後的総合・之が「真理」ということであったわけだが、その真理に到達するまでに遍歴して来た相矛盾する対立物の対立は、この真理に於てどういう形で、実際に止揚されているのかが問題だ。