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あかひげしんりょうたん

赤ひげ診療譚

山本 周五郎

03 むじな長屋

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,416 字 · 53 页

青空文庫

なにごともなかったのだろう、「子供みてえなやつだ」と呟きながら、戻って来て坐った。登は病人を眺めていた。

「一刻ばかりまえですが」と治兵衛が話しだした、「うちの嬶に粥を持たせてよこすと、ええ、昨日の午から寝ていたんで、粥を拵えて持って来させると、そこの仕事場で倒れていたんだそうです」

六帖と二帖の住居にくっつけて、三坪ばかりの板敷の仕事場がある。佐八が自分で造ったのだろう、天床もない板壁の、掘立て小屋のようなもので、車の輻を作る材料や道具類が、一枚敷いた薄縁のまわりにちらばっていた。――おことが来たとき、佐八はそこに倒れたまま呻いており、板敷に血が流れていた。おことの知らせで治兵衛が駆けつけ、寝床へ入れるとまた吐血した。

「金盥へ半分も吐きましたよ」と治兵衛は声をひそめて云った、「抱いているこっちも吐きそうになりました、私はてっきりこれでいっちまうもんだと思いましたよ」

佐八がふっと眼をあいた。

「おなか」と云って、佐八はあたりを見まわした、「おなかどうして来たんだ」

静かな、はっきりした声であった。

「別れたかみさんです」と治兵衛が登に囁いた、「十七八年もまえに別れたんですがねえ、ええ、おなかという名前でしたよ」