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じゅうきちひょうりゅうきぶん

重吉漂流紀聞

久生 十蘭

「小説公園」1952(昭和27)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,456 字 · 52 页

青空文庫

闇夜の暗い海に、眼を射るような稲妻がきらめき、山のような大波が狭戸の渦海のように荒れ狂っているのが、はるばると見えた。

重吉はベケットに、

「今日の難船は、わたくしから起ったことゆえ、せめての念ばらしに、わたくしを海へ投げてくだされ」

と手真似で心を通わせると、ベケットはエベットと顔を見あわせながらなにか言っていたが、腹をゆすって、はっはっと笑いだした。

難破した人間を救ったために、舵が折れるなどということはこの世にありえない。そんなことは信じられない。また信じたくもない。よけいな心配をしないで、安気に部屋で寝転がっているがよかろうというようなことをいい、有合うギヤマンの盃に酒を注ぎ、

「これを飲め」

という仕方で重吉の口もとにさしつけた。

それはオーカというめっぽうに気の強い酒で、一杯飲むとたちまちのうちに酔い、二杯飲むと気が軽くなった。見ると、ベケットはエベットを相手にしてさかんに盃のやりとりをし、その暇に鼻唄をうたっている。こういう大時化の海に漂いながら、鼻唄が出るというのは、異国船の船頭はなるほど大気なものだと感心した。

夜が明けると、いくらか風もやみ、船大工が大勢出てなんのこともなく舵をなおし、船は満帆に大風を孕ませながらまたもや北に向って走りだした。