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やこ

野狐

田中 英光

「知識人」1949(昭和24)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,615 字 · 39 页

青空文庫

とんでもないことをしてくれた。婿に対して面目が立たぬから、すぐに、ここから出て行って欲しい、という。アドルムの酔いの切れている私は、無意志の人形のようなもの。老母に叱られるまま、桂子と身仕度をして立ち上る。そこに姉の優しい泣声、「道ちゃん、いつでも帰っていらっしゃい。意志をハッキリさせてね」

姉は、私の桂子に対する本当の気持を薄々、知っているのだ。愛と憎しみの間。醜い哀れなものに対する、どうにもならぬ憐憫。私は桂子とともにズルズル泥沼の底に落ちてゆく光景を知りながら、彼女とともに新宿の家に帰る。

盗まれた品物を桂子は私に説明しながら、ふっと出てきた貯金帳を、そっと右手にかくす。私はそれを無言で奪いとって調べ、ギョッとする。私が飛び出した日の日付で、彼女は二万五千円の貯金をしている。それから、三回にわたり、五千円宛の貯金。その貯金の前夜が恐らく、彼女の家に帰らぬ日であろう。私はなにも言わない。急いで貯金帳を取ろうとする桂子にそれを返し、ヒョイと苦笑に似たものが浮ぶ。一張羅を質屋に入れた妻。桂子と別れた後の苦しい放浪の日々、短靴を酔って溝に落し、ひとから貰ったボロ軍靴に、一枚の破れYシャツしか残っていない私。