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のぎくのはか

野菊の墓

伊藤 左千夫

「ホトトギス」1906(明治39)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,539 字 · 67 页

青空文庫

この年の暑中休みには家に帰らなかった。暮にも帰るまいと思ったけれど、年の暮だから一日でも二日でも帰れというて母から手紙がきた故、大三十日の夜帰ってきた。お増も今年きりで下ったとの話でいよいよ話相手もないから、また元日一日で二日の日に出掛けようとすると、母がお前にも言うて置くが民子は嫁に往った、去年の霜月やはり市川の内で、大変裕福な家だそうだ、と簡単にいうのであった。僕ははアそうですかと無造作に答えて出てしまった。

民子は嫁に往った。この一語を聞いた時の僕の心持は自分ながら不思議と思うほどの平気であった。僕が民子を思っている感情に何らの動揺を起さなかった。これには何か相当の理由があるかも知れねど、ともかくも事実はそうである。僕はただ理窟なしに民子は如何な境涯に入ろうとも、僕を思っている心は決して変らぬものと信じている。嫁にいこうがどうしようが、民子は依然民子で、僕が民子を思う心に寸分の変りない様に民子にも決して変りない様に思われて、その観念は殆ど大石の上に坐して居る様で毛の先ほどの危惧心もない。それであるから民子は嫁に往ったと聞いても少しも驚かなかった。