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ぎんさんじゅうまい

銀三十枚

国枝 史郎

「新青年」1926(大正15)年3月~5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,863 字 · 73 页

青空文庫

タクシがやがて動き出した。

「左様なら」と私は帽子を取った。

「左様なら」と佐伯氏は微笑した。

だが私にはその微笑が、ひどく気味悪く思われた。

名古屋の夜景は美しかった。鶴舞公園動物園の横を、私のタクシは駛って行った。

8

私のタクシは駛って行った。

公園は冬霧に埋もれていた。

公園を出ると町であった。町の燈も冬霧に埋もれていた。

名古屋市西区児玉町、二百二十三番地、二階建ての二軒長屋、新築の格子造り、それが私の住居であった。

そこへタクシの着いたのは、二十五分ばかりの後であった。

妻の粂子は起きていた。

「遅かったのね」と咎めるように云った。私をしっかりと抱き介えた。それから頬をおっ付けた。これが彼女の習慣であった。子供のように扱うのであった。

二階の書斎へ入って行った。

「おい好い物を見せてあげよう。これはね、猶太の銀貨なのさ」

財布から銀貨を取り出した。

「まあやけに大きいのね」

彼女は愉快そうに笑い出した。彼女の歯並は悪かった。上の前歯は二本を抜かし、後は全部義歯であった。笑うと義歯が露出した。それが私には好もしくなかった。だがその眼は可愛かった。眼尻の方から眼頭の方へ、一分ほど寄った一所の、下瞼が垂れていた。