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ぎんさんじゅうまい
銀三十枚
国枝 史郎
「新青年」1926(大正15)年3月~5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,863 字 · 73 页
将しく彼女には審美眼がある。だが以前の彼女には、すくなくともマチスに憧憬れるような、そんな繊細な審美眼は、なかったように思われる。長足の進歩をしたものさなあ。もっとも驚くにはあたらない。彼女は伯爵夫人だからな」
私はまたもや私へ云った。
「よろしい彼女は伯爵夫人だ。それはどうしても認めなければならない。ところでここに困ったことには、彼女が伯爵夫人なら、ともかくも良人たるこの私は、自然伯爵でなければならない。私よ、伯爵を引き受けるかね?」
私は私へ云い返した。
「いいや私には荷が勝っているよ。けっきょく私は引き受けないよ。何故だと君は訊くのかい? 説明しよう。こういう訳だ。虹と宝石と香水と、こういう物に蔽われている、深い泥沼があったとしたら、誰だって住むのは厭じゃアないか。孑孑でない限りはね。ところで伯爵で居たかったら、そこに住まなければならないのだよ。と云うのは現在の生活が、その泥沼の生活だからさ」
大して気の利いた譬喩でもなかった。
「まあさ、それはそれとして、彼女は伯爵夫人だのに、どうして料理人を雇わないのだろう?」
私はこんな事を考え出した。
「二人の女中、一人の書生、五人ぐらしとは貧弱だなあ。