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ぎんざアルプス

銀座アルプス

寺田 寅彦

「中央公論」1933(昭和8)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,830 字 · 26 页

青空文庫

その映画の断片によると、当時八歳の自分は両親に連れられて新富座の芝居を見に行ったことになっている。それより前に、田舎で母に連れられて何度か芝居を見たことはあったようであるが、東京の芝居を見たのはおそらくその時がはじめてであったらしい。どんな芝居であったかほとんど記憶がないが、ただ「船弁慶」で知盛の幽霊が登場し、それがきらきらする薙刀を持って、くるくる回りながら進んだり退いたりしたその凄惨に美しい姿だけが明瞭に印象に残っている。それは、たしか先代の左団次であったらしい。そうして相手の弁慶はおそらく団十郎ではなかったかと思われるが、不思議と弁慶の印象のほうはきれいに消えてなくなってしまっている。しかし時の敗者たる知盛の幽霊に対して、子供心にもひどく同情というかなんというかわからない感情をいだいたものと見えて、そういう心持ちが今でもちゃんと残留しているのである。

芝居茶屋というものの光景の記憶がかすかに残っている、それを考えると徳川時代の一角をのぞいて来たような幻覚が起こる。

芝居がはねて後に一同で銀座までぶらぶら歩いたものらしい。そうして当時の玉屋の店へはいって父が時計か何かをひやかしたと思われる。