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ぎんざアルプス
銀座アルプス
寺田 寅彦
「中央公論」1933(昭和8)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,830 字 · 26 页
それからまた、現在の二葉屋のへんに「初音」という小さな汁粉屋があって、そこの御膳汁粉が「十二か月」のより自分にはうまかった。食うという事は知識欲とともに当時の最大の要事であったのである。
父に連れられてはじめて西洋料理というものを食ったのが、今の「天金」の向かい側あたりの洋食店であった。変な味のする奇妙な肉片を食わされたあとで、今のは牛の舌だと聞いて胸が悪くなって困った。その時に、うまいと思ったのは、おしまいの菓子とコーヒーだけであった。父に連れられて「松田」で昼食を食ったのもそのころであったように思う。玉子豆腐の朱わんのふたの裏に、すり生姜がひとつまみくっつけてあったことを、どういうわけか覚えている。父が何かしらそれについて田舎と東京との料理の比較論といったようなものをして聞かせたようであった。
天狗煙草が全盛の時代で、岩谷天狗の松平氏が赤服で馬車を駆っているのを見た記憶がある。店の紅殻色の壁に天狗の面が暴戻な赤鼻を街上に突き出したところは、たしかに気の弱い文学少年を圧迫するものであった。松平氏は資本家で搾取者であったろうが、彼の闘志と赤色趣味とは今のプロレタリア運動にたずさわる人々と共通なものをもっていた。