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かぎ

鍵

谷崎 潤一郎

「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页

青空文庫

その間違え方もはなはだ不思議で、三月とすべきを十月としたり、自宅の所番地にとんでもないでたらめを書いたりする。叔父に宛てた封書の上書きに、「之介」の字を「の助」と書いていたのには、少からず驚かされた。「四月」とすべきを「六月」と書いて、「六」の字を消して御丁寧にも「八」の字に直しているのもあった。日附や番地の場合だと、あまり見苦しいものは私がそっと訂正してから出すのであるが、「の助」の時は計らいかねて、「之介」が「の助」になっていますよと、何気ないように注意を与えた。夫は明らかに狼狽しながら、「そうだったかね」とわざと平気を装って云い、すぐには書き直そうともしないで、それを机の上に置いた。が、封筒は私が気を付けて眼を通すようにしているからよいが、本文にはどんな間違いがあるか知れたものではない。夫の頭が変であることは、すでに友人や知己の間には相当知れ渡っているのかもしれない。ほかに相談相手もないので、先日児玉先生にそれとなく夫を診察して貰うように頼んだところ、「そのことで僕も奥さんにお話したいと思っていました」と云う。児玉先生の話だと、夫は自分でも不安になったとみえて、相馬博士に診て貰っているらしいのであるが、博士があまり嚇かすので、博士を敬遠して児玉先生の所へ相談に来たのだそうである。