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かぎ
鍵
谷崎 潤一郎
「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页
私は四月十日になって、始めて夫の健康が尋常でないことを日記に書いている。―――「夫は彼の日記の中に彼自身の憂慮すべき状態について何ごとかを洩らしているであろうか。………彼の日記を読まない私にはそれは想像できないけれども、実は私はもう一二カ月前から、彼の様子が変調を来たしていることに気がついていた」と。夫自身がこのことを自白したのは、三月十日の記事からであるが、実際は、彼が自分で気がつくより先に、私の方が知っていたのではないかと思う。私はしかし、いろいろの理由から、最初のうちはわざとそれに気がつかないふりをしていた。それは夫をいたずらに神経過敏にさせることを恐れたからでもあるが、それ以上に、神経過敏の結果として、彼が房事を慎しむようになることを一層恐れたのであった。私は夫の生命を心配しないわけではなかったが、飽くことを知らぬ性的行為の満足の方がもっと切実な問題であった。私は何とかして彼に死の恐怖を忘れさせ、「木村トイウ刺戟剤」を利用して嫉妬を煽り立てることに懸命になっていた。………が、私のこの気持は、四月にはいってから次第に変った。三月中、私はたびたび、自分がいまだに「最後の一線」